無理をするということ。
2017/11/15(Wed)
誤解を恐れずに言うならば、僕は無理をするのが得意だ。
ただし、本当に自分が必要と判断したり、必要に迫られた時に限る。
そもそも、しょっちゅうしていたらそれは日常であり、無理ではない。
これは昔から感じているのだが、無理をする、もしくは無理をできる回数や量は人によってそれぞれ限りがあるということ。もちろん、これはあくまで僕の推論だけれど、後天性のアレルギーも同様の理由だった
ように思う。キャパシティを超えると或る日突然アレルギーを発するように、無理をする、出来るのにも
限界値があると考えている。
だから、僕はむやみやたらと無理をしない。限られた自分の能力はいざという時のために出し惜しみする
ことも大切だからだ。もちろん、トレーニングや経験や環境で無理を出来る限界は増えもすれば減りもするはずだ。くどいようだが、これは僕の推論である。
ただ、あながち間違っていないように思う。
自分が出来ることは限りがある。有限だからね。
だから、何を選ぶか、何に挑むか、何の仕事に就くか、どこに住むのか?そういったことがとても大切になる。何を選ぶかは自分次第(たいていの場合)。
流行りの言葉を使うならば、「選択と集中」だろうか、この表現はビジネスライクな感じが強いので
あまり好ましい表現ではないけれど。
2018年に向けて、その先に向けて後悔のない選択とチャレンジをしたい。
